最も嫌われたウェールズ王 マエルグウィン・グウィネズ ― 「島の竜」と呼ばれた6世紀の暴君

ウェールズの王の中で、もっとも嫌われた王は誰か。そう聞かれたら、僕は迷わずこの人の名前を挙げます。6世紀の北ウェールズを治めた王、マエルグウィン・グウィネズです。
叔父から王位を奪い、妻と甥を殺し、教会の財産まで狙った。同時代の修道士からは「島の竜」とまで呼ばれた人物です。いったい彼は何をしたのか。同時代の記録と、後世の伝説の両方からたどってみます。
なお、これからお話しする内容には、中世の年代記や伝説が多く含まれます。物語としてお楽しみください。
マエルグウィン・グウィネズとは
マエルグウィン・グウィネズ(Maelgwn Gwynedd、?〜547年頃)は、6世紀に北ウェールズのグウィネズ王国を治めた王です。グウィネズは、5世紀にキネダが建てた国。マエルグウィンはそのひ孫にあたり、父は「長い手」のカドワロンです。北ウェールズの海辺、デガンウィの丘に居城を構えていたと伝えられています。
名前に王国名「グウィネズ」がそのまま付いていることからも、彼がこの国の顔ともいえる強力な支配者だったことがうかがえます。体格に恵まれ、戦えば強く、気前もよい。ブリテン島の西側でも指折りの実力者でした。
ところが、その強さとは裏腹に、マエルグウィンは**中世から現代まで「最も嫌われたウェールズ王」**として語られてきました。
王に選ばれた「浮かぶ椅子」の伝説

マエルグウィンには、こんな即位伝説が残っています。
あるとき、北ウェールズの王たちが「誰が上に立つか」を決めるため、海辺に椅子を並べて座り、満ちてくる潮に最後まで耐えた者を王にしようと決めました。マエルグウィンは家臣に命じて、蝋を塗った鳥の羽で椅子を作らせていました。潮が満ちると、ほかの王たちは波にのまれて逃げ出しましたが、マエルグウィンの椅子だけはぷかぷかと浮かび、彼は悠々と座り続けた――。
勝つためには仕掛けも辞さない。この伝説には、彼の抜け目のなさがよく表れています。
「島の竜」と呼ばれた理由

マエルグウィンの悪名を決定づけたのは、同時代の修道士ギルダスが書いた『ブリタニアの破壊について(De Excidio Britanniae)』です。
ギルダスはこの書で、ブリテンの王たちを名指しで激しく非難しました。その中でもっとも多くの紙幅を割いて責め立てられたのが、ラテン語名「マグロクヌス(Maglocunus)」ことマエルグウィンでした。ギルダスは彼を**「島の竜(insularis draco)」**と呼び、多くの暴君を王座から追い落とし、権力でも悪行でもほかの王たちを上回る男だと嘆いています。
ギルダスが挙げたマエルグウィンの罪は、主に次のようなものです。
| 罪 | 内容 |
|---|---|
| 王位の簒奪 | 若いころ、叔父である王を剣と炎で攻め、王位を奪った |
| 誓いを破る | 一度は悔い改めて修道士になったが、誓いを捨てて俗世に戻った |
| 妻殺し・甥殺し | 自分の妻と、兄弟の息子(甥)を殺した |
| 不義の結婚 | 殺した甥の妻を、自分の新しい妻に迎えた |
王の悪行を同時代人がここまで具体的に書き残した例は、6世紀のブリテンではほかにありません。しかも書いたのは、当時から尊敬を集めていた聖職者です。この記録が後世まで読み継がれたことで、マエルグウィンの「悪い王」というイメージは揺るぎないものになりました。
悪名高きエピソード
1. 叔父を倒して王位を奪う
ギルダスによれば、マエルグウィンは若いころに叔父を倒して王座に就きました。ギルダス自身は叔父の名前を書いていませんが、ウェールズの伝承では、その叔父は「白い歯の王」オウァイン・ダントグウィンだったと語られています。二人は「カムランの谷」で激突し、オウァインは命を落としました。
身内の王を力ずくで追い落とし、その座を奪う――。こうした構図から、アーサー王に反逆した甥モルドレッドのモデルではないかという説もあります。ただし、これはあくまで後世の推測で、確かな根拠があるわけではありません。くわしくはアーサー王伝説と北ウェールズの王たちの記事で紹介しています。
2. 教会の財産をだまし取ろうとする

聖人パダルンの伝記には、マエルグウィンが聖職者をだまそうとした話が残っています。
マエルグウィンは、ランバダルン(現在のアベリストウィス近郊)の教会を率いるパダルンのもとへ使いを送り、「王の財宝だ。大切に預かってくれ」と袋を託しました。ところが、袋の中身は苔や砂利。のちに袋を開けさせたマエルグウィンは、「財宝が石ころにすり替わっている。お前たちが盗んだのだ」と言いがかりをつけ、弁償させようとしたのです。
しかし、たくらみは失敗します。伝記によれば、真実を確かめる神明裁判が行われ、嘘が明るみに出たマエルグウィンは神罰で目が見えなくなりました。彼は罪を認めて許しを請い、教会に土地を差し出したといいます。
3. 修道士になったのに、すぐ逆戻り
ギルダスの記録によると、マエルグウィンは一度は心を入れ替えて修道院に入りました。周囲の人々はほっと胸をなでおろしたことでしょう。
ところが、修道士としての生活は長続きしませんでした。誓いを捨てて王の座に戻ると、以前にも増して欲望のままにふるまうようになります。ギルダスにとって、これは「一度救われかけた魂が、自ら地獄へ戻っていった」ことを意味しました。非難がとりわけ激しいのは、このためです。
4. 妻と甥を殺し、甥の妻を奪う
マエルグウィンの悪行でもっとも衝撃的なのが、この事件です。
彼は甥(兄弟の息子)の若い妻に心を奪われました。そして、邪魔になった自分の妻と、甥の両方を殺害。そのうえで、夫を失った甥の妻を自分の妃に迎えたのです。ギルダスは、この女性もまたマエルグウィンとの結婚を望んでいたと書き、二人をそろって糾弾しています。
5. 宮廷詩人を負かした少年タリエシン
ウェールズの伝説『タリエシン物語』にも、マエルグウィンは登場します。
マエルグウィンは自分の宮廷詩人たちを自慢にしており、それを批判したエルフィンという男を牢に入れてしまいます。そこへ現れたのが、エルフィンに仕える不思議な少年詩人タリエシン。タリエシンは魔法のような詩の力で宮廷詩人たちを黙らせ、エルフィンを救い出しました。
この物語でも、マエルグウィンは「傲慢で、気に入らない者には容赦しない王」として描かれています。
「黄色い疫病」による最期

マエルグウィンの最期についても、印象的な伝説が残っています。
『カンブリア年代記』は、547年ごろに大規模な疫病が流行し、その中で「グウィネズ王マエルグウィンが死んだ」と記しています。ウェールズではこの疫病を**「黄色い疫病(Y Fad Felen)」**と呼びました。
伝説によれば、マエルグウィンは疫病を恐れてランロス(デガンウィ近郊)の教会に逃げ込み、扉を固く閉ざして閉じこもりました。ところが、鍵穴から外をのぞいた瞬間、外にいた「黄色い怪物」と目が合い、そのまま息絶えたといいます。ウェールズには「マエルグウィンの長い眠り」ということわざが残っており、これは彼の死を指していると言われます。
この「黄色い疫病」は、同じころ地中海世界からヨーロッパに広がった**ユスティニアヌスの疫病(ペスト)**だったと考えられています。
息子ラン・ヒル ― 父とは対照的な王

マエルグウィンの跡を継いだのは、息子の**ラン・ヒル(Rhun Hir)**です。「ヒル」はウェールズ語で「背の高い」という意味。その名のとおり長身で、伝承では美男子として知られています。
ランは北方へ大規模な遠征を行い、グウィネズの力を示したと伝えられます。また、中世ウェールズの物語『ロナブイの夢』では、アーサー王の助言者のひとりとして登場します。暴君として恐れられた父とは対照的に、ランは尊敬を集める人物として語り継がれてきました。ランの生涯はこちらの記事でくわしく紹介しています。
まとめ:マエルグウィンはなぜ「最も嫌われた王」なのか
マエルグウィン・グウィネズが嫌われ続けてきた理由を整理すると、次の3つにまとめられます。
- 悪行の数々 ― 王位簒奪、妻と甥の殺害、甥の妻との結婚、教会への詐欺
- 聖職者を裏切ったこと ― 修道士の誓いを捨て、教会の財産まで狙った
- 同時代の記録が残ったこと ― ギルダスの痛烈な非難が、後世まで読み継がれた
一方で、彼が北ウェールズで屈指の力を持った王だったのも事実です。強大な力と、それを抑えられない欲望。その両方を持っていたからこそ、マエルグウィンは1500年近くたった今も、強烈な印象を残し続けているのでしょう。
ちなみに、妻を次々と処刑したことで知られるイングランド王ヘンリー8世も、父方のテューダー家はウェールズにルーツを持つ一族です(テューダー家の記事)。それでも僕は、悪さの度合いではマエルグウィンのほうが上だと考えています。
マエルグウィンが生きた時代の全体像は、ブリタニア時代の記事で紹介しています。





