幼なじみが宿敵に? ウェールズの英雄王カドワロン・アプ・カドヴァンの生涯

一緒に育った幼なじみが、大人になって最大のライバルになる。マンガやドラマでよくある展開ですが、そんな物語が7世紀のブリテン島にもありました。
主人公は、北ウェールズの王国グウィネズの王、カドワロン・アプ・カドヴァン。ライバルは、アングロ・サクソンの王エドウィンです。
国を奪われ、海の向こうへ逃げ、敵だったはずのアングロ・サクソンと手を組んで逆転する。そして最後は……。ウェールズでは英雄、イングランドでは暴君。まったく違う顔で語り継がれた王さまの生涯を、年代順にたどってみます。
なお、これからお話しする内容は、中世の年代記や伝説などをもとに僕の解釈も加えたものです。物語としてお楽しみください。
「長い手のカドワロン」とは別人です
最初に、ひとつだけ整理させてください。
このブログには、もう一人の「カドワロン」が登場しています。マエルグウィンのお父さんで、6世紀初めの「長い手のカドワロン」です(マエルグウィンの記事)。
今日の主人公は、それから100年ほど後、7世紀のカドワロン。「アプ・カドヴァン」は「カドヴァンの息子」という意味です。お父さんのカドヴァンは、マエルグウィンの子孫にあたるグウィネズの王でした。同じ一族で、名前を受け継いだ子孫というわけですね。
逃げてきた王子エドウィン
物語は、ブリテン島の北東から始まります。
そのころ、今のイングランド北部には、アングロ・サクソン人の国がありました。北のバーニシアと、南のデイラ。のちに一つになって「ノーサンブリア」と呼ばれる地域です。
デイラの王子だったのが、エドウィン。ところが7世紀の初め、バーニシアの王エセルフリスがデイラを攻め取ってしまい、エドウィンは国を追われます。
身寄りのない王子は、あちこちを転々とする放浪生活を送ることになりました。

グウィネズで、一緒に育った二人
伝説によると、さまよったエドウィンがたどり着いたのが、ウェールズのグウィネズでした。
当時のグウィネズを治めていたのは、カドヴァン王。グウィネズはウェールズでも一番の強国で、カドヴァンはブリトン人(ウェールズ人の祖先)の王たちのまとめ役のような存在でした。
国を失った少年をかわいそうに思ったカドヴァンは、エドウィンを引き取り、息子のカドワロンと一緒に育てたといいます。

ところが、この二人がどうにもそりが合いません。同じ屋根の下で育つうちに、エドウィンはカドワロンに強いライバル心を燃やすようになっていきました。
ちなみに、エドウィンがグウィネズで育ったという話は、12世紀の伝説に出てくるものです。本当のところは分かっていませんが、二人の因縁を語るうえで欠かせないエピソードになっています。
エドウィンの逆襲と、グウィネズの危機
大人になったエドウィンは、とうとう故郷に戻るチャンスをつかみます。
東のイースト・アングリア王国の助けを借りてエセルフリスを倒し、ノーサンブリアを取り戻したのです。その後もエドウィンは西へ西へと領土を広げ、南のケント王国とも手を結びました。気がつけば、アングロ・サクソンの国々の中で一番の権力者になっていました。
それでも、育ての親カドヴァンが生きているうちは、エドウィンもおとなしくしていました。さすがに恩人には手を出せなかったのでしょう。
ところがカドヴァンが亡くなり、カドワロンが王位を継ぐと、話は変わります。くすぶっていたライバル心に、再び火がついたのです。
629年ごろ、エドウィンはついにグウィネズに攻め込みました。追いつめられたカドワロンは、アングルシー島の沖にある小さな島に立てこもりますが、持ちこたえられません。グウィネズは奪われ、カドワロンは国を追われてしまいました。

一緒に育った幼なじみに、国を奪われる。なんとも皮肉な展開ですよね。
海の向こうから、まさかの同盟
国を失ったカドワロンは、海を渡って逃げのびます。行き先は、ウェールズの詩ではアイルランド、伝説ではフランス北西部のブルターニュと伝えられています。
でも、カドワロンはあきらめませんでした。兵を集め直し、反撃の準備を進めます。
そして手を組んだ相手が、意外な人物でした。アングロ・サクソンの国の一つ、マーシアの王ペンダです。
「ウェールズとアングロ・サクソンって、ずっと敵同士じゃなかったの?」と思いますよね。でも実は、アングロ・サクソンの国どうしも勢力争いをしていました。急に強くなりすぎたエドウィンは、ペンダにとっても邪魔な存在だったのです。
敵の敵は味方。ウェールズの王とアングロ・サクソンの王が、エドウィンを倒すために手を組みました。

ハットフィールドの戦い
633年10月、カドワロンとペンダの連合軍は、ハットフィールドでエドウィンの軍とぶつかります。
結果は、連合軍の大勝利。エドウィンは息子とともに戦場で命を落としました。

幼いころから続いた二人の因縁は、ここで決着がつきます。カドワロンは、ついにグウィネズを取り戻したのです。
勝ちすぎた王
……と、ここで終わればハッピーエンドなのですが、カドワロンの物語には続きがあります。
勢いに乗ったカドワロンは、そのままノーサンブリアに攻め込みました。王を失ったノーサンブリアでは、デイラとバーニシアにそれぞれ新しい王が立ちますが、カドワロンは二人とも倒してしまいます。
それから約1年、カドワロンはノーサンブリアを支配しました。ただ、その支配はとても荒っぽいものだったようです。
イングランドの歴史家ベーダは、このときのカドワロンを「勝利した王ではなく、血に飢えた暴君のようだった」と書いています。各地で殺戮や略奪を繰り返し、ノーサンブリアの人々を震え上がらせたというのです。
ノーサンブリアの人々は、なんとかカドワロンを止めようとしますが、なかなか止められません。
天の野の戦い、そして最期
そこで呼び戻されたのが、オズワルドという人物でした。
実はオズワルド、エドウィンの宿敵だったエセルフリスの息子です。父が倒されたあと、今のスコットランド西部へ逃れて暮らしていました。皮肉なことに、かつてのエドウィンと同じように、国を追われた王子だったわけです。
634年、オズワルドはわずかな兵を率いてカドワロンに挑みます。戦いの前、オズワルドは木の十字架を立てて祈ったと伝えられ、この戦場はのちに「ヘヴンスフィールド(天の野)」と呼ばれるようになりました。

兵の数ではカドワロンのほうが上でした。それでも勝ったのは、オズワルドでした。カドワロンは戦場の近くで命を落とし、その波乱の生涯を終えます。
カドワロンはどんな人物だったのか
カドワロンの評価は、どちらの側から見るかでまったく違います。
イングランド側の歴史家ベーダにとって、カドワロンはノーサンブリアを荒らし回った「暴君」でした。一方、ウェールズでは、カドワロンは侵略者エドウィンを倒した「英雄」として詩や伝説に歌われてきました。7世紀のウェールズの王で、本人をたたえる詩がまとまって残っているのは、カドワロンだけなんです。
国を奪われてもあきらめず、敵だったはずの相手とも手を組んで、幼なじみの宿敵に勝った。そして勝ちすぎたことで、最後は自分も倒された。強くて、しぶとくて、でも引き際を知らなかった王。それがカドワロン・アプ・カドヴァンです。
カドワロンの死後、グウィネズは大きく揺れ、カドヴァエルという人物が王の座につきます。その後のウェールズの動きは、ブリタニア時代の記事で紹介しています。グウィネズを興した先祖についてはキネダの記事をどうぞ。





