「偉大なる王」はアーサー王だったのか? 海を渡ったブリトン人の王、リオタムス

アーサー王のモデルは誰なのか。この謎には、たくさんの「候補者」がいます。今日ご紹介するのは、その中でもちょっと変わった候補者です。

名前はリオタムス。5世紀のブリトン人(ウェールズ人の祖先)の王で、名前の意味はなんと「偉大なる王」。大軍を率いて海を渡り、ガリア(今のフランス)で戦い、敗れて、ある土地の近くで姿を消した……。そう聞くと、アーサー王伝説が好きな方なら、ちょっとピンとくるかもしれませんね。

なお、これからお話しする内容は、中世の年代記や伝説などをもとに僕の解釈も加えたものです。物語としてお楽しみください。

「偉大なる王」という名前

まず気になるのが、この名前です。

リオタムスは、ブリトン人の言葉「リゴタモス」をラテン語風にしたもので、「いちばん王らしい者」「偉大なる王」といった意味だと言われています。本名なのか、それとも称号のようなものなのか、実はよく分かっていません。

じゃあ、どこの生まれなのか。これもはっきりしません。ブリテン島から来たという見方もあれば、海の向こうのブリタニー(今のフランス・ブルターニュ地方)の王だったという見方もあります。ブリタニーの古い聖人伝には「リアタム」という名前の王子が出てきますが、時代が合わず、別の人物ではないかと考えられています。

名前は立派なのに、素性は謎だらけ。なんだか気になる王さまですよね。

ローマ皇帝からのSOS

470年ごろ、ガリアは大ピンチを迎えていました。

ローマ帝国はもうボロボロで、西ローマ皇帝はころころ入れ替わる状態。そのすきを狙って、西ゴート族の王エウリックが、ガリアをまるごと手に入れようと動き出していたのです。

困った西ローマ皇帝アンテミウスは、ブリトン人に助けを求めます。

「どうか、西ゴートと戦ってほしい」

この呼びかけに応えたのが、リオタムスでした。

1万2千の兵を連れて、海を渡る

6世紀の歴史家ヨルダネスによると、リオタムスは「ブリトン人の王」として、およそ1万2千の兵を連れて海からやってきました。そして、ガリアの真ん中あたり、今のブールジュの周辺に陣を構えます。

1万2千というと、当時としてはかなりの大軍です。リオタムスの力がどれほどのものだったか、よく分かりますよね。

1万2千の兵を連れて海を渡るリオタムス

ちなみに、同じころの司教シドニウスがリオタムスにあてた手紙も残っています。内容は「あなたの兵たちが、ある人の使用人をこっそり連れ去ってしまった。どうか公平に裁いてほしい」というお願い。王としての力を認められつつ、ちょっぴり苦情も言われていたわけです。リオタムスが実在した、たしかな手がかりのひとつです。

援軍が来ないまま、決戦へ

ところが、ここで事件が起こります。

ローマ軍がリオタムスと合流する前に、西ゴートの王エウリックが大軍で攻めてきたのです。

ブリトン軍は奮戦しますが、相手は大軍。ブールジュの近く、デオルという村のあたりで、多くの兵が倒れたと伝えられています。

実はこのころ、ガリアにいたローマの高官アルヴァンドゥスが、エウリックに「ロワール川の向こうのブリトン人を攻めるべきだ」とこっそり手紙を書いていたことが分かっています。この裏切りがリオタムスの敗北につながったのでは、と考える人もいます。ただ、手紙にリオタムスの名前は出てこないので、本当のところは分かりません。

西ゴート軍と向かい合うリオタムスのブリトン軍

敗れて、アヴァロンの近くへ

戦いに敗れたリオタムスは、生き残った兵たちとともに戦場を逃れ、隣のブルグント族のもとへ向かいました。ブルグント族は、当時ローマの味方だった人たちです。

そして、ここでリオタムスの記録はぷっつりと途切れます。その後どうなったのか、どこで亡くなったのか、何ひとつ残っていません。

ここで登場するのが、イギリスの研究家ジェフリー・アッシュです。アッシュは、ブルグント族の土地に「アヴァロン」という名前の町があることに目をつけました。アーサー王伝説で、深く傷ついたアーサー王が運ばれていく島の名前も「アヴァロン」。偶然にしては、できすぎていますよね。

戦いに敗れ、ブルグントの地へ落ちのびるリオタムス

アーサー王か、それともアンブロシウスか

アッシュは、リオタムスこそアーサー王のモデルではないか、と考えました。

12世紀にジェフリー・オブ・モンマスが書いた『ブリタニア列王史』では、アーサー王はガリアへ遠征して大活躍します。そのすきに、留守を預けたモルドレッドに裏切られ、最後はアヴァロンへ運ばれていきます。海を渡ったガリア遠征、裏切り、そしてアヴァロン。リオタムスの物語と、たしかによく似ています。

ただし、リオタムスとアヴァロンの町を結びつける昔の記録はありません。あくまで「似ている」という仮説です。

一方、フランスの歴史家レオン・フルリオは、まったく別の説を唱えました。リオタムスの正体は、同じ時代のブリタニアの王アンブロシウス・アウレリアヌスではないか、というのです。ブリタニーで育ち、ブリテン島で戦った英雄。「偉大なる王」というのは、アンブロシウスの呼び名だったのではないか、というわけです。

アーサー王か、アンブロシウスか、それとも別の誰かなのか。リオタムスは、いくつもの顔を持つ王なんです。

リオタムスはどんな人物だったのか

リオタムスについて、たしかに分かっていることは多くありません。ローマ皇帝の頼みに応えて海を渡り、西ゴートと戦って敗れ、ブルグントの地へ去った。記録に残っているのは、ほぼそれだけです。

それでも、頼まれれば大軍を連れて海を越え、勝ち目の薄い戦いにも挑んだ。そして、民の苦情にも耳を傾けるよう求められる王でもあった。そんな姿からは、まじめで、頼られる王さまの姿が浮かんできます。

記録が少ないからこそ、人はそこにアーサー王やアンブロシウスの面影を重ねてきました。もしかしたら、あなたが思い描く「アーサー王」にも、リオタムスのかけらが混ざっているのかもしれません。

アンブロシウスの生涯はアンブロシウスの記事で、アーサー王のモデルとされる北ウェールズの王さまたちは「アーサー王」は実在した?の記事で紹介しています。この時代全体の流れはブリタニア時代の記事をどうぞ。

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