使用人と王妃の恋が、イギリスの歴史を変えた――テューダー家とウェールズの血筋

5世紀初めに生まれたウェールズ王室は、北部を中心に長くウェールズを治めてきましたが、13世紀末にイングランドに征服されました。その後も各地で独立を求める反乱が起き、15世紀初めには英雄オウァイン・グリンドゥールが立ち上がりますが、これも鎮圧されてしまいます。
これでウェールズ王室の血は途絶えた――かと思いきや、実は細々と生き残り、やがてイングランド王室そのものを動かすことになります。そのきっかけをつくったのは、たった一人のウェールズ人使用人の“逆玉の輿”でした。今回は、中世ウェールズの歴史の番外編です。

肩身の狭い使用人に訪れた“逆玉の輿”
時代は、グリンドゥールの反乱が終わった15世紀。反乱の影響でイングランドのウェールズへの締め付けは厳しく、ウェールズ人というだけで逮捕されたり、危険人物扱いされたりする時代でした。
そんな中、イングランド王室で使用人として働くウェールズ人がいました。オーウェン・テューダーです。これはイングランド風の呼び名で、ウェールズ語ではオウァイン・アプ・マレディズ・アプ・テューダー、「テューダーの息子マレディズの、その息子オウァイン」という意味になります。
使用人とはいえ、オーウェンの家柄は実は名門でした。父方はラウェリン大王に仕えた執事の直系の子孫で、父方の祖母マージはハウェル善王につながる王家の血筋です。さらに母マーガレットも、ラウェリン大王の娘の血を引く家系でした。つまりオーウェンは、父方と母方の両方からウェールズ王室の血を受け継いでいたのです。しかし時代は、ウェールズ人が犯罪者のように扱われていた頃。オーウェンはイングランド王ヘンリー5世の王妃キャサリンの衣装係として、どうにか職を得ていました。肩身の狭い下っ端暮らしです。ところがある出来事が、彼の人生を大きく変えることになります。

舞踏会でつまずいて、王妃と恋に落ちた男
ヘンリー5世は若くして亡くなり、キャサリン王妃は未亡人になっていました。まだ若い彼女には、名のある伯爵とのスキャンダラスな噂が流れることもありました。
そしてオーウェンは、なかなかの美男子でした。ある日、王宮で舞踏会が開かれた時のこと。王妃の前で踊っていたオーウェンがつまずき、座っていたキャサリン王妃の膝の上に倒れ込んでしまったのです。なんとキャサリンは、このオーウェンに恋をしてしまいました。ほかにも、泳いでいるオーウェンの姿を見た王妃が一目惚れした、という説もあります。こうして二人は、人目を避けて密会を重ねるようになりました。

とはいえ、二人の結婚など許されるはずがありません。未亡人となった王妃の再婚相手には、国王に近い身分が求められました。噂のあった伯爵でさえ身分が足りないとされたほどです。まして相手は使用人、しかもイングランドに反旗を翻したウェールズ王室の血を引く男。まず認められません。
結婚できない二人が選んだのは、法を破って駆け落ちし、密かに結婚する道でした。王妃と使用人の駆け落ちという前代未聞の事態に、王室は必死で行方を探したはずです。隠れ暮らしの心労が重なったのか、キャサリンは6年後、36歳の若さでこの世を去ります。オーウェンもイングランドの役人に見つかり、法を破った罪で投獄されてしまいました。
ただ、二人の間には二人の息子、エドムンドとジャスパーが生まれていました。一方、キャサリンには亡きヘンリー5世との間の息子もいて、父の跡を継いでイングランド王ヘンリー6世になっていました。つまりエドムンドとジャスパーは、ヘンリー6世の異父弟にあたります。
まだ遊び盛りの少年だったヘンリー6世は、年の近いエドムンドとジャスパーに会い、3人はすっかり仲良くなります。このおかげで、オーウェンは幸運にも釈放されました。以後はヘンリー6世に仕え、王宮庭園の管理人として年金をもらいながら悠々自適の暮らしを送ります。逆玉の輿の効果で、人生の再逆転です。

ウェールズの血が、薔薇戦争を終わらせる
ところが時代は、薔薇戦争へと突入していきます。オーウェンもヘンリー6世のランカスター家(赤薔薇)について、ヨーク家(白薔薇)と戦いました。しかし1461年、モーティマーズ・クロスの戦いでランカスター軍が敗れ、オーウェンは捕らえられて処刑されてしまいます。

ただ、話はここで終わりません。この薔薇戦争の行方に、オーウェンの血筋が大きく関わってくるのです。
そもそも薔薇戦争とは?――王の病から始まった30年
薔薇戦争は、15世紀のイングランド王室で起きた後継争い・権力争いです。赤薔薇のランカスター家と白薔薇のヨーク家が、王位をめぐって約30年にわたって戦いました。どちらもエドワード3世の息子を祖とする家系で、ランカスター家は三男ジョン・オブ・ゴーント、ヨーク家は四男エドマンドから始まっています。ランカスター家からはジョン・オブ・ゴーントの息子がヘンリー4世として即位し、ヘンリー5世、ヘンリー6世と王位を受け継いでいました。
きっかけは、キャサリン王妃の息子ヘンリー6世でした。フランスとの百年戦争はイングランドの敗北に終わり、フランスにあった領土も失います。もともと繊細だったヘンリー6世は、敗戦の重圧のせいか、心の病に倒れてしまいました。
この隙に、「自分こそ正統な王だ」と王位を狙ったのが、ヨーク公リチャード(白薔薇)です。これに対し、ヘンリー6世の王妃マーガレットは息子エドワードを立てて対抗します。1455年、こうして薔薇戦争が始まりました。

争いの末、ヨーク公の息子エドワードがランカスター軍を破り、エドワード4世として即位します。その後はエドワード5世、そして悪王と呼ばれるリチャード3世と、白薔薇のヨーク家が3代続けて王位を握りました。
ランカスター家最後の切り札、ヘンリー・テューダー
では、赤薔薇のランカスター家は黙っていたのでしょうか。実は、リチャード3世が反対派を排除しすぎたことで、不満を抱いた貴族たちがランカスター家の復活を望むようになります。そこで担ぎ出されたのが、ランカスター家の“秘密兵器”ヘンリー・テューダーでした。
名前のとおり、彼はあのオーウェン・テューダーの孫です。オーウェンとキャサリン王妃の息子エドムンドに生まれた男の子が、ヘンリーでした。つまりヘンリー・テューダーは、ウェールズ王室の血とイングランド王室の血を両方引いていることになります。イングランド王室の血は母方から受け継いだもので直系ではありませんが、ランカスター家の血を引く数少ない生き残りでした。
ボズワースの戦い、そしてテューダー朝の誕生
ヘンリー・テューダーは、ウェールズ南西部のペンブロークで生まれました。しかしヨーク家に命を狙われる恐れがあったため、フランスへ逃れて暮らしていました。
そしてランカスター家の復活を願う人々の後押しを受け、ヘンリーはフランスで兵を挙げてイングランドに乗り込み、リチャード3世と対決します。これがイングランド版の天下分け目の戦い、1485年の「ボズワースの戦い」です。ヘンリーはこの戦いに勝利し、事実上、薔薇戦争は終わりを迎えました。ヘンリー・テューダーはヘンリー7世としてイングランド王に即位し、テューダー朝を開いたのです。

イングランド王室のテューダー朝という名前は、祖父オーウェン・テューダーから来ていたわけです。さらにさかのぼると、「テューダー」の名はオーウェンの祖父の祖父にあたる、ウェールズ王室の血を引く貴族テューダー・アプ・ゴロンウィ(テューダー・ヘン)に始まります。家系図に登場するオーウェンの祖父テューダー・アプ・ゴロンウィとは、同名の別人です。
この一戦がイギリスの歴史を変えた3つの理由
ボズワースの戦いは、単に薔薇戦争を終わらせただけではありません。イングランドとウェールズ、さらにはスコットランドの歴史にまで大きな影響を与えました。ポイントは3つあります。
①ウェールズとイングランドのつながりが強まった ヘンリー7世の父方は、由緒あるウェールズ王室につながっています。そのヘンリー7世がイングランド王となってテューダー朝を始めたことで、ウェールズとイングランドの結びつきは一気に強まりました。テューダー朝の君主は、ヘンリー7世、ヘンリー8世、エドワード6世、ジェーン・グレイ、メアリー1世(夫フィリップ1世と共同統治)、エリザベス1世と続きます。
②赤薔薇と白薔薇がひとつになった ランカスター家のヘンリー7世は、ヨーク家エドワード4世の娘エリザベスと結婚しました。二度と争いが起きないよう、両家が手を結んだのです。これでランカスター家とヨーク家は統合され、イングランドはひとつにまとまりました。

③ウェールズ・イングランド・スコットランドが血筋でつながった ヘンリー7世の娘マーガレットはスコットランド王家に嫁ぎ、そのひ孫がスコットランド王ジェームズ6世になります。テューダー朝最後のエリザベス1世が子を残さずに亡くなり、イングランドの王位継承者が途絶えかけた時、このジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王も兼ねることになりました。こうして、ウェールズ王室の血筋が、イングランド王室とスコットランド王家の血筋とひとつにつながったのです。
まとめると、ボズワースの戦いはイングランドを統一しただけでなく、やがてイングランド、ウェールズ、スコットランドを血筋で結ぶきっかけとなった、重要な戦いでした。天下分け目の戦いというより、未来へ向けた“王室つなぎ目の戦い”と呼べるかもしれません。そしてその始まりは、舞踏会でつまずいた一人のウェールズ人使用人だったのです。
テューダー家がウェールズの一武将から王室に至るまでの家系の歩みは、こちらの記事で、赤い竜の旗がウェールズの誇りになるまでの物語はこちらで紹介しています。ウェールズ史全体の流れは中世ウェールズ史を8つの時代でたどる記事をどうぞ。





